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アニメの名言から学ぶ!

アニメやエロゲの名言とかから何かを学びつつ、それに関する自分の考えとか体験談を書く。また、物語シリーズで私のお気に入りキャラである貝木泥舟さんっぽく最後にその日の記事から得るべき教訓を書こうと思う。基本的に記事一つに名言を一つ(たまに二つとか)を引用するが、そうでないときもある。

さくら荘のペットな彼女 千石千尋の名言 1番じゃなければダメなんて事はない

さくら荘のペットな彼女

 

「自分が理想とする一番良い形だけしか認められない人間になると、自分も周りも不幸にするってこと。」

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これは、アニメ「さくら荘のペットな彼女」の千石千尋の言葉である。

 

 

誰しもそうだと思うが、自分の生き方とか人生について、それが具体的であるにしろ、抽象的なものにしろ「こんな風にしたいなあ。なりたいなあ。」という所謂、夢とか理想とかを持っているはずである。

 

 

 

「夢を叶える」「夢を追い続ける」

 

 

これは確かに素晴らしい事であると思うし、私もまだ現在進行中で夢を追っているつもりである。

 

 

しかし、↑の言葉にあるように、最初に自分のやりたい事、なりたいものなどを決めたとして、それが何の問題もなく順調に進み、無事にその夢や理想を叶える事が出来てしまう人なんてのはごく稀なのではないかと思う。

 

 

実力はもちろん、そこそこ運もなければそんな風にいきなり上手くなんてのはそうそうありえない事にように私は経験上思える。

 

 

夢や理想が潰えるなんて事は、夢が叶う、理想が実現するなんて事よりも数十倍よくある事なのではないかと私は思う。

 

 

 

だからこそ、第2希望、第3希望という感じで次善の策を考えておく事は大切なのだと思う。

 

 

私は数年前まで、一つの夢とか理想というものに固執し過ぎていたように今では思う。

 

私は自分なりに将来について考えていたが、本当にやりたい事もなりたいものも思い浮かばなかった。

 

 

だからなのか、私は「とりあえず働かないで楽して稼いで楽して生きたいな。」と真面目に思った。

 

 

調べれみれば実際にそんな風に生きている人はいるようで、その方法も沢山あるようで、「よっしゃ!俺もやるぜ!」という感じで始めたが、色々な情報教材と呼ばれる稼ぐ方法を教えてくれるものを買いまくって色々やっているうちに2年程が経ち、私は少なくとも100万円以上を失った。

 

 

もう少しはやく気が付いていれば、現在の貯金の残高がここまで悲しい事にはならなかった気がするが、1年ほど前にようやく「もうダメだ。働こう。」となり、「働く」という事を前提に自分のやりたいもの、なりたいものを、いろいろ始めたり辞めたりしながら探し続け、ようやく「これじゃないか?」というものを見つけ、明日が勤務初日という所まで来た。

 

 

こう振り返ってみると感慨深いものがあるし、本当にギリギリだったと思う。(通帳の残高的に)

 

 

これから始める仕事についても、自分の夢や理想を100%実現できるのか言えば、全然そんな事はないだろう。

 

 

しかし、自分の理想と現実とを照らし合わせた時に、「最善」と現状では思えるのがこの仕事なのである。

 

 

私はおそらく、元から、夢見がちな人間だからか、夢とか理想とかを完全に捨ててしまえば、何で生きてるのか分からなくなるだろうしそれは御免であるが、1つの形に固執し過ぎるのは千尋先生が言っている通り、非常に危険だと思われる。

 

 

いい年こいてる私が、最近流行りなのか分からないが、「俺は絶対にYOUTUBERになる!」(YOUTUBEの広告で稼ぐ人)とか豪語していたとしたら、恐ろしい事この上ない。

 

 

 

自分の一番の夢や理想を追い続ける事は素晴らしい事だが、引き際を見極めて、次善の策を用意しておく事こそが、1つの夢や理想が潰えた時に対する最も有効であり、より良い人生を送るためにも不可欠な事だと最近つくづく思うのである。

 

 

ちなみに、引用した「さくら荘のペットな彼女」というアニメは、まさに今話していた「夢」「理想」というものがテーマであるが、ハッピーエンドのサクセスストーリーという感じではなく、「挫折」の方をリアルに描いている。(だからと言って、鬱ではないが)

 

 

夢を追う若者は是非見る事を推奨したいし、恋愛面についても秀逸な素晴らしいアニメである。

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

 

・今「これだ!」という道を見つける事が出来ても、状況に応じてその形を変えたり、次善の策を用意する事が重要だという事だ。

 

 

何はともあれ、まずは一刻も早く新しい仕事に慣れるようにならねば。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 比企谷八幡の名言 勝手に期待して勝手に失望する

俺ガイル

 

 

 

勝手に期待して、勝手に理想を押し付けて、勝手に理解した気になって、そして勝手に失望する・・・何度も何度も戒めたのに、それでも結局治っていない・・・雪ノ下雪乃ですら嘘を吐く。。。そんな当たり前の事を許容出来ない自分が・・・俺は・・・嫌いだ。。。 

 

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これは、アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡の言葉である。

 

 

「勝手に期待して勝手に失望する」

 

 

これは意識的しろ、無意識的にしろ、他人と関わって生きている以上、一生ついて回る苦しみなのだと私は思う。

 

 

 

誰かと関わっているのに、誰に対しても1ミリも何も期待していないとしたら、それはとてつもない孤独であると思う。

 

 

私が思うに、「期待してない」という事はつまり、「どうでもいい」と同義である。

 

 

 

だから、誰に対しても全く期待していないという事は自分以外の全ての人間が完全にどうでもいいという事になる。

 

 

 

しかし、実際の所は正直な所、私は自分以外の大多数の他人に興味関心があり、また期待をしているかと言えば、そんな事はない。

 

 

 

顔も名前も知らない、会ったこともない人間に対し、興味関心を抱くのは難しいし、興味関心が無いなら期待なんてものも出てくる訳がない。

 

 

ニュースとかでどっかの誰かが死んだとか、こんな悲惨な事があったとかいうのを聞いても、「世も末だな。」とか「俺はこんな目に遭いたくないな。」とか思うだけで、その都度悲しんだりするんなんて事はない。

 

 

私にとっては、私以外のほとんどの人間はどうでもいいという事になるだろう。

 

 

 

しかし、私は家族の事は心底大切に思っているし、極少数の友人(と少なくとも私は思っている)も大切に思っているし、素晴らしいビジュアルノベルやアニメ、音楽を創り出すクリエイターの皆さんの事も大切というか、素晴らしい人たちだと思っているつもりである。

 

 

 

自分の感情や損得勘定というものが、基本的に私を行動に移させる最大の要因であるとは思うが、時には、↑の人たちの為に自分の感情や損得勘定よりも優先させるものがあったりする時もある。

 

 

 

一見、自分よりも他人を大事にしているように見える行動。人をそうさせるものは何かといえば、俗に言う「愛」というやつだと思う。

 

 

 

ちなみに、私のここでの「愛」の解釈は「人を想う気持ち」である。

 

 

だから、つまり、誰かがいて、その誰かに対し、興味関心がとか期待とかがあるのなら、それはつまり少なからずそこには愛があるという事になる。

 

 

ちなみに、私が思うに、「興味関心」を抱けば何かしら「期待」は生まれると思うので=にしてしまってもいいと思っていたりする。

 

 

 

 

つまり、まとめると「期待とは愛である。」というような事を言いたいわけで、↑で比企谷は勝手に期待をして勝手に失望する自分を嫌っているが、これはつまりそこに愛がる事の証明でもあり、素晴らしい事と言えると思う。

 

 

 

しかし、比企谷のように、「勝手に期待をして勝手に失望する自分が嫌い」という風に、私もそうだが「誰かに期待している自分」を自覚している場合、「俺の期待に応えれないお前はダメだ。」ではなく、「勝手に期待して、勝手に失望」と言っているように「自分の身勝手さ」も自覚してしまう為、行きつくところが自己嫌悪になってしまいがちになると思う。

 

 

 

しかし、「期待」には「失望」はどうしてもついて回ってしまうものだと私は思う。だから、どうすればいいかと言うと

 

 

期待→失望→自己嫌悪

 

ではなく

 

期待→失望→割り切る

 

 

という方向にするしかないと私は考える。期待して、その通りにならなければどうしても失望は出てくると思う。

 

 

しかし、その後に自己嫌悪するのではく、「こういう事もある。」とすっぱり割り切るようにする事こそが唯一の対策ではないかと私は考える。

 

 

何せ、他人の頭の中なんてのは自分には分かる訳もない訳が分からないものなのだから、自分が期待した通りにならなくても仕方が無い。

 

 

そう思うようにする事こそが、いつまでも期待と失望を繰り返す人間のよりよく生きる方法なのではないかと、一度は期待→失望→自己嫌悪に陥り、苦しんだ私は思うのである。

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

 

・期待する事は良い事だが、失望した時、その後の対処こそ注意するべきだという事だ。

 

 

今後、誰かに失望した後はしっかり割り切れるようになりたいと思う。

きっと、澄みわたる朝色よりも、 与神ひよの名言 思い込みで人は幸せになれる

きっと、澄みわたる朝色よりも、 思い込み

たまに思うのだが、どんな人間であれ、何かしらを思い込み、それを何年も積み重ねてきて、それぞれの強固な、思い込みとか固定観念というものを構築しているのではないだろうか。

 

 

思い込みで人は幸せになれますわよ? 

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これはビジュアルノベルきっと、澄みわたる朝色よりも、」の与神ひよというキャラの台詞である。

 

 

 

私はこの言葉は確かに1つの真理であると思っている。しかし、幸せにもなる事も出来るが、同時に思い込みによっては不幸になる事も十分ありえる。

 

 

というか、勘だがどちらかと言えば、思い込みによって不幸になっている人の方が多いのではないかと思う。

 

 

これは実体験から思うのだが、思い込みには非常に強力な力があり、それは実際に自分の身体に影響を与える事は確かにありえる。

 

 

私は中学生ぐらいから、「自分はハゲる」という非常に強い強迫観念のようなものを抱え続けてきた。

 

 

風呂でシャワーを浴びて、シャンプーをし、自分の髪の毛が抜けるのを見るたびに

 

 

「おいおい今何本抜けたこれ?抜けすぎじゃないかのか?いやいや気のせい気のせい。大丈夫だって。あれ、でも俺のデコこんな広かったっけ?なんかベジータみたいになってきてないか・・・?いやいや気のせいだって。元からこういう形だったんだって。ん、なんかつむじの所地肌見えすぎじゃないか・・・?いやいや、俺つむじ二つだし、そういう形なだけだって。大丈夫大丈夫!あれ?でも・・・」

 

 

 

というような感じで全く持って非生産的かつ考えても何の意味もないような事をぐるぐる延々と考え続けてきた。

 

 

そして、結果は20代前半にして「大丈夫大丈夫!気のせい気のせい!」と苦しい言い訳が出来なくなり、「ならいっそ・・・」とスキンヘッドになったという結末である。

 

 

 

数十年、ひたすら「自分はハゲる」というマイナスの思い込みを繰り返してきた結果、それはばだ、「ハゲ」を受け入れるにはいささか辛い年齢にして悲しくも実現してしまった。

 

 

何故、そんな事を思い込んでわざわざ私は自分から自分を不幸にしてしまったのかを振り返ってみると、原因とか理由とか考えても全く思いつかないというのが正直な所である。

 

 

いつからか、気がついたら私はそんな事を繰り返し考えずにはいられなくなってしまっていた。

 

 

「ハゲるかどうかなんて事を考えていても仕方が無い。もう止めよう。」

 

 

とも何度も考えたが、そう考えている時点でまた「ハゲる」事について考えているのである。

 

 

そんな感じで、私は風呂で頭を洗うたびにそんな「ハゲ」という思考に取り付かれ、スキンヘッドになるまではその思考から逃れる事が出来なかった。

 

 

「ハゲる」という呪いを自分で自分に毎日毎日かけ続け、見事それを達成してしまったのである。

 

 

家族の中で兄はむろん、父親でさえまだハゲてきたかどうか分からないというぐらいなのに、私だけがイってしまったのはやはりそういう事なのだと思う。

 

 

 

しかし、これは思い込みがマイナス要素に働いた一例だが、もちろんプラスに働いた事も多々あると自覚している。

 

 

 

私は普段から何に対してもそうだが、

 

 

「大丈夫、やればなんとかなる!俺はやれば出来る子だ!」

 

 

と自分でもなんで断言してしまう程にそう思えるのかは今でも分からないが、この思い込みには全くブレがない。

 

 

そう思い込んでいると、どういうわけか、「出来る子になるまで勉強する」という行動も自然と取れるのである。

 

 

 

実際に、大学受験や就職試験、資格試験などのペーパーテストでは結果として失敗した事はない。これはちょっとした自慢である。

 

 

 

 

自覚はないが、高校受験の時に、内申点が学年中最低の中、当時好きだった子を追っかけるためだけに毎日10時間以上の勉強をし、無事望みの進学校に入学が出来たという経験が

 

 

「自分はやれば出来る」

 

 

という強固な思い込みの原材料みたいなものなのかもしれない。ともかく、この思い込みが大きなエネルギーとなり私の行動に及ぼしている影響は非常に大きいと思われる。

 

 

 

思い込みに理由はいらないよ。根拠がなくともそう思い込んでしまったのなら、それはその人間にとって絶対だ。 

 

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 これは↑の紹介した名言と同作の樫春告というキャラの言葉である。

 

 

私もそう思う。後者の「自分はやればできる」の思い込みについては、「根本はあれかなぁ。」というある程度の予想はあるが、前者のハゲの思い込みについてはその根拠が全くもって思いつかない。

 

 

 

しかし、思い込んでしまっている以上、どちらも私にとっては絶対的と思える程に影響を与えていたように思う。

 

 

 

その思い込みがプラスに働いているようなら、そのままでいいかもしれないが、マイナスに働いていると思える思い込みを抱えているなら、何かしら対策を打った方がいいのかもしれない。

 

 

といっても、その具体的な方法は良く分からないし、実際にそうした経験も私にはない。人に聞いた話では、

 

「別の情報を繰り返し自分に言い聞かせ思い込みを塗り替えればいい」

 

との事だが、少なくとも私はハゲの思い込みを改善する事は出来なかった。上手く悪い思い込みを改善できる人がいたら是非参考までに話を聞いてみたいものである。

 

 

 

 

自分がどんな思い込みを抱えているかを把握するのも簡単ではないかもしれないが、それを把握して自分の思い込みとどう付き合っていくべきかを考える事は結構大切な事なのではないかと最近よく思うのである。

 

 

 

ちなみに、二つ名言を紹介した「きっと、澄みわたる朝色よりも、」という作品はとても綺麗な作品でもあり、人間関係について深い所まで考えさせてくれる素晴らしい作品なので、気になった人はやってみてはどうだろうか?(エロはあってないようなものである。)

 

きっと、澄みわたる朝色よりも、 

 

きっと、澄みわたる朝色よりも、 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

 

・思い込みという自分に影響を与える超強力なもの?と上手く付き合う事さえできればそれほどの強みは無いという事だ。

 

 

だからこそ、自分の抱える「思い込み」を見極め、それを自分をより良い方に導くように持っていきたいと強く思う。

CHAOS;CHILD 宮代拓留の名言 本当はリア充になりたい

CHAOS;CHILD D.C.

リア充。つまり、リアル(現実)が充実している人間のことを指す言葉である。この言葉とそのものと、この言葉の実際に世間での使われ方に疑問を抱いた事はないだろうか?

 

 

昨今のリア充は、本当の意味で現実は充実しているかどうか。つまり、やりたいことが出来ているかどうかで判断されるんだ。そういう意味で、僕はリア充だ。だから、暇に任せてふざけているあいつらはリア充なんかじゃないんだよ。 

 

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↑これは「CHAOS;CHILD」というゲームの主人公・宮代拓留の言葉であるが、私も高3の受験シーズン、エロゲにドハマりしている時に、まったく同じような疑問を抱いた事がある。

 

 

 

「なんで彼女がいるヤツとかモテるヤツが『リア充』なんだ?現実生活が充実がしているかどうかなんてのは本人にしか分からない事だし、何がその人にとっての『充実』かなんてのは人それぞれだろう?そう考えれば、最高に面白いエロゲをやりまくっているという俺のリアルは充実していると言える。だったら俺もリア充じゃないか。」

 

 

そう本気で思っていたし、思い返してみても、それはそれで、当時の私にとっては正しかった気もする。

 

 

 

しかし、アニメとかゲームとかどんなに楽しい娯楽に浸っていても、

 

・可愛い子とイチャイチャしたい

・可愛い子に告られたい

・可愛い子と素晴らしい恋愛がしたい

 

といった異性に対する欲求は学生時代を終えて、数年経った今も消えてはいない。それはそれ、これはこれという感じなのである。

 

 

 

宮代拓留や私のように、リア充という言葉自体にならあれこれこじつけて「彼女なんていなくても俺だってリア充だしっ!」とかいう事は出来る。

 

 

ただ、重要なのは、「リア充という言葉の使い方がおかしい」とかそんな事ではなく、ほぼ全ての男は「可愛い事と〇〇したい」という欲望、というかもう欲求と言ってもいい気がするが、そんなものを程度の違いはあれ、持っているという事だろう。

 

 

 

実際に付き合ってみれば、何かとめんどくさいとかいう話はあるが、可愛い子と付き合った事もない人間から見れば、「可愛い子と付き合っている」という事実があるだけで嫉妬の対象であり、俗に言う「リア充爆発しろ!」という風になるのである。

 

 

 

リア充」=異性との付き合いがある

 

 

というようなイメージが出来上がったのは、人がそれほどに心底、異性との恋愛を求めているという証拠な気がする。

 

 

学園・純愛・ハーレムものといったエロゲやアニメが10年以上前から作られ続け、それのジャンルが今も変わらず需要があるという事はそういう事なのだろうと思う。

 

 

私自身、そういうアニメやエロゲは大好きだし、そういうものを通して

 

「あー、俺もそんな生活が送りたい(かった)んだよ。」

 

と、これでもかという程の「リア充」である主人公の日常生活を通して、「リア充」への憧れを新たにしているという自覚がある。

 

 

ちなみに、良質なリア充の疑似体験がしたいなら、エロゲなら「D.C.Ⅱ」という作品がおすすめである。

 

 

美少女たちが私(主人公)を巡って泣いたり笑ったり怒ったり争ったりする様は実に圧巻である。シナリオ自体も中々良いし、疑似体験とはいえ、非常にクルものがある。

 

私的には王道学園ものの最高峰のエロゲと言える。ここまでプレイしていて幸福感を感じられる作品は中々ない気がする。

 

D.C.II 〜ダ・カーポII〜

 

D.C.II 〜ダ・カーポII〜

 

 

 

 

まあ、つまり私は非常に「リア充」になりたいわけだが、悲しい事だが、顔が良い訳でもスポーツとか特技があるわけでもない男には、ほっといても可愛い子が寄ってくるなんて事はまずありえない。

 

 

学生でも無いのなら、何にしてもまず、金が無い男になどよって来る訳がない。悲しい事に金がほとんどな世の中である。

 

 

という事でまずは、職を手に入れ、そこで昇格し、収入を増やし「私は優良物件ですよ。」というアピールを出来るようになる事が最も確実な道な気がする。

 

 

 

しかし、私はリアル女子に対する興味は失っていないはずであるが、今までの職場で接する女性がほぼ全ておばさんだったことから、同年代の女子という人種に長らく接していない事や、リアル女子で可愛い子を見ても、二次元の完全無欠の可愛さに常日頃から触れている事から「んー、でもあの子(二次元)の方が可愛いな。」とか思ってしまうのではないか?、などという懸念もあるが、まあ、そんなものは後後考えれば良い事だろう。

 

 

まずは、面接の結果の返信が「誠に残念ながら・・・」で送られてこない事を祈るばかりである。

 

 

 

私はリア充になるためになんとしても新しい職を獲得しなければならない、というかほんとお願いだから下さい。

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・学生から社会人になるとリア充になるのもより簡単でなくなるという事だ。

 

 

誰か可愛くて性格良い子と結婚を前提にお付き合いというまさかのチャンスが来たら掴めるように、まずは自分を高めるとしよう。

空の境界 蒼崎橙子の名言 自分は空っぽな人間

空の境界 SHIROBAKO

自分自身を「空っぽな人間だ。」と思った事はあるだろうか?

 

 

私は物心ついた時から少なくとも10年以上は自分自身を「空っぽな人間だ。」と思い続けてきた。

 

 

しかし、そんな「空っぽ」である事も考え方によれば素晴らしい事のように思わせてくれる言葉がある。

 

 

「伽藍堂だということは、いくらでも詰め込めるということだろ?この幸せ者め、、、それ以上の未来が、一体どこにあるというんだ?」 

 

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これは私的に型月の男女全キャラ中、最高にかっこいい蒼崎橙子さんの名言である。

 

 

 

私が空の境界の見たときはもう4年ほど前になるが、当時も私は

 

「俺は何がしたいんだ?何になりたいんだ?・・・俺は空っぽ人間だな。」

 

 

といった具合に絶賛悩み中だったわけだが、この言葉が私を救った、というか、悩みを大分軽くしてくれたのは確かな気がする。

 

 

 

小6の頃には既に「自分は空っぽな人間」という悩みに取りつかれていたが、何故そんなに思い悩んでいたのかと言えば、私の周囲の人間は、それぞれ何かしら本気で打ち込めるものを持っていて、(正確に言うと、私にはそう見えたという事だが。)私にはその

 

 

「本気で打ち込める」

 

 

何かを持っていなかったからであると思われる。

 

 

38度の熱を出して学校を休んでも、FFとかファイアーエンブレムとかRPG、または一人でスマブラをやる根性はあったが、残念ながら、これらは私に「自分は何かに打ち込んでいる」「自分は何かを持っている」という風には思わせることはできなかった。

 

 

それから、高3になり、エロゲに出会うまでは、とりあえずやる事がないからと色々な音楽を聴きまくったり、本を読んだりドラマを見たり、バイトをしたりしたが、依然として「自分は空っぽ」という感覚は拭う事は出来なかった。

 

 

 

エロゲに出会い、また、それまで特に見ようとも思わなかったアニメ、二次元の強力な魅力の虜になり、「自分はこれが心から好きだ!」と断言できる何かに出合う事は出来た。

 

 

その時は「自分は空っぽ」という感覚はほとんどなくなったかのように思えたし、実際、大分薄まったはずである。

 

 

しかし、

 

「エロゲやアニメ等、大好きな業界で仕事したい!貢献したい!」

 

 

と就職活動始めてみれば、「どういう職種で?どういう風に貢献したいのか?」という自問に対し、「んー・・・何でもいいから貢献したい。」という自分でも自信が持てない答えしか出てこない事実に、薄まっていてはずの「自分は空っぽ」という感覚が復活してきたのである。

 

 

 

私のこのような悩みは「SHIROBAKO」というアニメの主人公のみゃーもりが抱えていた悩みとほぼ同一であると言っていいと思う。

 

 

 

大筋は決まっているんだけど、具体的にとか、現実の職業とかと照らし合わせてみると決められない、良く分からない、だから

 

 

「やる気はあります!何でもします!

 

 

的な結論にしか達しない。実際に作中でもみゃーもりは面接で「何でもします!」と言って、面接に落ちたのだが。

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この問題について、私は「何かを見つけなければ・・・」と随分悩まされたが、つい最近、一つの結論に達した。

 

 

 

それは

 

 

「自分は何がやりたいか?」を無理して探す必要はなく、探すのは、「自分は何が出来るか?向いているのか?」でもいいのではないか?、という事である。

 

 

 

「俺のやりたい事は何だ?俺のやりたい事は何だ?

 

 

と実際に業界の内の色々な職種をいくら調べて、考えてみても正直な所、「特にない」のである。

 

 

ただただ、「何でもいいから業界で働きたい。業界に貢献したい。」という情熱だけが残るのである。

 

 

 

ならば、もう探しても見つからない「やりたい事」を探して、それが見つからなくて「自分は空っぽだ」と悩むのは止めて、数ある職種の中から、「自分でも出来る仕事。向いてる仕事。」を考えていけばいいという結論に達したのである。

 

 

 

「自分のやりたい事を探す事」

 

 

は充実した人生を送るには必要不可欠な事だと思うが、そのやりたい事に具体性がなく漠然としていて、現実の仕事と照らし合わせてもしっくり来ないなんて事もあるはずである。

 

 

そんな時は悪い意味で「やりたい事」に囚われ過ぎる必要はなく、「出来る事」「向いてる事」を考えれば上手くいくこともあるのではないかと思うのである。(ただ、上でみゃーもりが情熱だけで面接に落ちたように雑用ではなく、クリエイターとなれば、話は別かもしれないが。)

 

 

 

そして、まさに私はそれを身をもって体験するつもりである。それが上手くいき、今までのただただ、生活をするための金を稼ぐためだけに働いていたあの虚しさ、やりがいのなさから抜け出し、好きな業界に貢献できる仕事をする事で私がこれまでにない充実感が得られる事を期待したい・・・というか得られるようにしたい。

 

 

 

空っぽだから詰め込めるとは言っても、詰め込むものが一向に見つからないのはやはり苦しいものである。

 

 

 

しかし、

 

空っぽである事は=ダメな奴

 

という私の固定観念を壊し、私に希望を持たせ、今までめげずに詰め込むものを探し続ける事が出来たのも橙子さんの名言のおかげかもしれない。

 

 

橙子は悪人面が良く似合って、最高にクールな女性で、含蓄ある言葉を数々残して、もうとにかく大好きである。

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ちなみに、私の「これがきっと俺の天職だ!」と思っていて応募し、面接待ちの職業はとあるアニメショップの倉庫スタッフである。

 

 

なんだかんだで、5年間もの間、飲食店でせっせと飯を作ったり、食器を洗ったり動き回っていた私には肉体労働はお似合いであると自認している。

 

 

 

また、「空の境界」も「SHIROBAKO」も種類は全然違うが、どちらも強いメッセージ性のある素晴らしい作品なので、見ていない人は是非視聴をおすすめしておく。

 

 

 

SHIROBAKO 第1巻 (初回生産限定版) [Blu-ray]

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今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・「やりたい事」だけが必ずしも空っぽな自分を埋めるとは限らないという事だ。

 

 

私は倉庫で業界の方々の知恵と努力の結晶である素晴らしい商品を、私と同じく、無い金を捻り出して業界を買い支える同志であるユーザーに届けるという大任の一端を担う仕事に喜んで従事したい。

グリザイアの迷宮(たぶん)の名言 苦手はあっても不可能はない

グリザイア D.C.

私は先日、自分の苦手なものと向き合い、それから逃げずに立ち向かい、見事乗り越えたという貴重な体験を積んだ。

 

 

それの根幹にあったのはグリザイアシリーズの男前過ぎる師匠、日下部麻子さんのこの名言によるものだろう。

 

人間なんてのは結局、物の考え方次第でどうとでも変わる。いいか?今後はこう考えろ『苦手はあっても不可能はない』わかったか? 

 

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まずは、私の苦手なもの、つまり今回の敵は何かという話だが、これである↓

 

 

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D.C.P.C. ~ダ・カーポ プラスコミュニケーション~というビジュアルノベルの彩珠ななこというキャラである↑

 

 

私はシナリオ重視のエロゲーマーであるから、もちろんシナリオを何よりも重要視しているつもりである。

 

 

 

しかし、この髪型、緑髪の色、デカ眼鏡、これがもうほんとに苦手なのである。キャラデザをした方には大変申し訳ないと思うのだが、1ミリも可愛いと思えないのである。

 

 

これはこのキャラだからそうという話ではない。

 

「デカ眼鏡」

 

これがもう私的に完全にアウトなのだ。私にとってはデカ眼鏡なんてのには萌え要素なんて欠片もなく、特大のガッカリ要素しかない。

 

 

お気に入りのキャラがデカ眼鏡をかけ始めたりなんかしたら「ざけんなっ!」と声を荒立ててしまう程である。

 

 

私は基本的に、二次元美少女の眼鏡着用については反対の人間であるが、眼鏡の種類やそのキャラによっては可もなく不可もなくという感じである。

 

 

 

しかし、先に画像に挙げたキャラのように「眼鏡」という要素にさらにいくつかの条件が組み合わされると、ほんとに苦手だ。

 

 

その要素は先のキャラがまさに体現しているが、眼鏡が無駄にデカいという点、そして、そんな感じの髪型(髪型の名前が思いつかない。)、しかも色が緑という点。

 

 

この上、さらにドジで天然だったりしたらもう悪い意味で堪らない。

 

 

エロゲーマーを数年やっているなら分かると思うのだが、エロゲというものには、全ヒロインを攻略しなければ解放されないルートというものが度々あるのだ。TRUEENDを見る為には欠かせない事がある。

 

 

 

だから、エロゲーマーは時として、ビジュアル的に全く可愛いと思えないヒロインも攻略しなければならないのである。

 

 

 

「趣味の時間になんで攻略したくもないヒロインを攻略しなければならないんだ?」

 

 

と考え始めたらどんどんやる気が失せてしまうが、私的には、もう自分の事を「プロのエロゲーマー」と思い込み、仕事と同じようにこなしてしまうのもありだと思う。

 

 

仕事であるなら、それが必要である限り、基本的に何でもこなすのが当たり前のはずである。

 

 

そして、「自分には苦手はあっても不可能はない」と思い込み、それを乗り越えた暁には「達成感」というご褒美が待っている。

 

 

私は今回この思考でこのヒロインを攻略してみたが、「あー、やっと終わったよ。」っていうやれやれ感よりも、「おし!終わったぁ!」という感じの達成感を得る事が出来、通常のヒロインを攻略した時とは全然違うが、とりあえず終わった時の自分の気持ち的には非常に良い方に持っていく事に成功した。

 

 

 

麻子さんも言っているが、やはり考え方次第でどうてでも変わるというのは真理だろう。私は今後、全然可愛くないヒロインが目の前に現れ、その攻略を必要に迫られたとしても、難なくそれを乗り越えて達成感を獲得する事が出来るだろう。

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・必要だけれどやる気が出ない時は、それに対する考え方を改めてみるという方法が非常に有効であるという事だ。

 

 

無理な事は無理だが、大抵の事ならこの考え方でなんとかなるような気はする。

fate/staynight ギルガメッシュの名言 手に入らないからこそ価値があるものとは?

fate

前回に続き、またまたfate/staynightからの名言である。

 

手に入らぬからこそ美しいものもある。

 

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手に入れられる物は何でも手に入れ、この世のありとあらゆる快楽を貪りつくしてきたと自負する英雄王であるギルことギルガメッシュの名言である。

 

 

 

別にギルガメッシュに限らないが、誰でも美しいもの(ここでは価値があるものという事にしておこう)は何でも手に入れたいのは自然な欲望である。

 

 

 

しかし、どんなに金持ちになっても、どんな権力を手に入れても一生、手に入らないものが人によってそれぞれあるものだろう。

 

 

 

 

私にとってのそれは

 

 

「二次元美少女」

 

 

である。

 

 

これはどんな努力をしても手に入らない最たるものだと私は思う。

 

 

私たちは二次元美少女たちの柔らかいけど張りがあって弾力のあるおっぱい(想像)を揉んだり吸ったり舐めたり嗅いだりする事は出来ない。同様に、染み一つないエロ美しい曲線を描いた尻を「スパーンっ!」と叩く事も黒スト越しに顔を埋めて深呼吸する事も出来ない

 

 

何故出来ないのかと言えば、彼女たちがいるのは「二次元」であり、私たちがいるのは「三次元」だからである。

 

 

私は二次元美少女が大好きだが、三次元美少女に興味が無い訳ではない。

しかし、二次元美少女というのは、それぞれあらゆる個性をもっていながらも共通点があると私は考えている。

 

 

それは「完璧である」という事だ。何がどう完璧なのかをきちんと説明する事は私には出来ない。しかし、強いていうなら

 

 

「二次元美少女であるから完璧である」

 

 

という事になるだろうか。「何言ってんだこいつ?」と思われるかもしれないが、もうこれは理屈ではないのである。

 

 

 

三次元でどんなに美少女であっても、どこまで行っても三次元なのである。もはや三次元顔を見るだけで、世知辛い現実を思い出してしまうのである。

 

 

最近は鏡で自分の顔を見てもそう思うし、ディスプレイにうっすらと自分の顔が映る時なんかも同じ現象に陥ってしまう。

 

 

 

しかし、画面一杯に美少女が映り、可愛く動き回ったりしているのもを見ると高い確率で邪な気持ちも浮かんでくるのは確かだが、私は何よりも「落ち着く」のである。

 

 

それはきっと、どんどん世知辛くなっていく現実の中、彼女たちはいつまでも変わる事なく、「完璧」であるからなのだと私は思う。その完璧さを見る度、私の心に平穏が訪れるのだ。

 

 

昔はドラマや映画をよく見ていたが、今ではプレイベートな時間を使ってまで三次元顔を見る気力は当分湧きそうにない。

 

 

 

 

そんな訳で、とにかく私たちは二次元美少女のおっぱいを揉めないし、キスも出来ないし、尻も叩けないし、Hも出来ない。手に入らない。だからこそ全力で想像して楽しむのである

 

 

手に入れたくて走り続けるけど永遠に手に入らない二次元美少女。これほど、手に入らないからこそ価値があるものはないのではなかろうか。

 

 

 

ポイントは、「手に入らないならいいや。」と諦めるのではなく、「それでもなんとかして手に入れてやる!」と思う事だと思う。

 

例えばおっぱいマウスパッドや、尻マウスパッドなどは手に入らなくても、それでも二次元美少女のおっぱい尻に手を伸ばすという男の欲望や情熱が形になったものだろう。

 

最早、尻パッドなんかはマウスパッドとしての機能を捨ててまで尻を追求しているようである。

 

 

値段はバカみたいに高いが、いずれ私には依然として二次元美少女の尻を叩きたいという欲望だか情熱だかが燻っているので、少し目途がついたら、録音したちょっとえっちぃボイスをイヤホンで聞きながらこの動画のように尻を「スパーンっ!」と叩いたり揉んだりしてみたい。

 

 

だが、買ってから尻を馬鹿みたいに叩いた後にそんな自分を客観的に見てしまわないようにする必要はあるので注意しておこうと思う。こういうのは自分を客観的に見た時点で負けだろう。

 

 

ちなみに、私が知ってるキャラでは「装甲悪鬼村正」の三世村正と、「楽園追放」のアンジェラ・バルザックの尻パッドがあるらしい。(最安値で37000円という非常に高価である。)

 

 

 

 

 尻パッドを買った勇者がいたら是非、感想を聞いてみたいものであるが、私も買ったらブログで感想を書いてみたいと思う。

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・私の二次元美少女への渇望は果てしないという事だ。

 

 

何故、いつからそんな風になってしまったのかは もうわからないが、私が考えるべきはそんな自分と世知辛い現実とを上手く折り合いをつけていくしかないという事だ。