アニメの名言から学ぶ!

アニメやエロゲの名言とかから何かを学びつつ、それに関する自分の考えとか体験談を書く。また、物語シリーズで私のお気に入りキャラである貝木泥舟さんっぽく最後にその日の記事から得るべき教訓を書こうと思う。基本的に記事一つに名言を一つ(たまに二つとか)を引用するが、そうでないときもある。

fate/staynight 遠坂凜の名言 図星を突かれるとキレてしまう

今日ついさっき、私の元に変な業者っぽい所から一通のメールが届いた。私はそのメールを開けていない。

 

 

にも関わらず、そのメールは私を瞬間的にイラッとさせ、「うっせバカっ!」と思わず声を出させた。

 

 

そのメールのタイトルはこうだった。

 

 

「髪の毛で悩んでませんか??」

 

 

このタイトル自体、特別向うに悪意があったとは思わない。(ただ、?がなぜか無意味に二つある事はなんか知らんがイラッとくるが)

 

 

 

私が何故、思わず声を荒げてしまう程にイラッと来てしまったのか?

 

 

それは、「髪の毛で悩んでませんか??」という質問に対する私の答えがどうしようもなくYESだからなのだろう。

 

 

 

私は今日、このメールが来るまでは、その件についてはある程度克服したつもりでいた。何せ、もう始まったのは1年も前の話だ。

 

 

「うん、ハゲだけど。それがなに?」くらいの気持ちになれていたつもりだったのだ。

 

 

だが、どうやら違ったようである。こうもストレートに髪の毛の話題をぶつけられると理性ではどうしようもない位にイラッときてしまった。

 

 

 

スキンヘッドにする事で悩みの多くは吹っ飛んだのは事実だと思う。しかし、20代前半で、「自分はハゲである。」という事実を正面から受け止め、「それがどうした?」と悟りを開けるような境地に達するのは少々難しいのかもしれない。

 

 

 

たかがメールの一文だけでもここまでイラつくし、親に「〇〇は髪の毛にいいみたいだよ。」とか言われても「え?何それ俺の髪の毛の事に対して言ってんの?それ一杯食って髪の毛増やせばいいじゃん。って?」と言う感じで何でも自分の髪の毛についてネガティブというか、卑屈に受け取ってしまうのである。

 

 

 

 

人間ってのは、本当のこを言われると怒ると思うのよ。 

 

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今日取り上げる、fate/staynightの遠坂凜の名言であり、今回の事から改めて身をもって実感した事実がこれである。

 

 

 

私たちが生きている現実は実に世知辛いし、見たくも聞きたくもない事実がいくらでもある。

 

 

現実、事実をしっかり見据えて受け止める事はもちろん非常に大切だが、出来ればずっと目を逸らしていたい事実だってあるし、誰かに迷惑をかけないなら目を逸らしていたって構わないはずである。

 

 

 

私がいつになったら、「自分はハゲである」という事実をしっかり受け止め、「それがどうした。」と悟りを開けるようになれるかは分からない。

 

 

だが、とりあえず数年、いや数十年はこの事実からは目を逸らしたいのである。私の前で髪の毛だのハゲだのという話題は止めて欲しいのである。

 

 

 

「髪の毛」「ハゲ」これらのワードが私にとっての地雷なら、人それぞれで様々な地雷を持っているだろう。1回くらいなら地雷を踏んでしまうのも仕方ないかもしれないが、身体的特徴などその人にとって、自力でどうしようもないような事は軽々と口にすべきではないだろう。

 

 

そう考えると、小学生の時の周りに流されて何も考えずにそのような事を軽々と口にしていて自分が愚かしくて恥ずかしい。

 

 

 

引用したfate/staynightだが、このタイトルとか、どんな作品だとかは知ってる人もおおいだろうから省くが、ビジュアルノベル、アニメともに実際かなり面白いし、なんといっても奈須きのこさんの病み付きになってしまう世界観が堪らない。

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・他人の身体的特徴については思っていたとしても、本人の前では絶対にタブーという事だ。

 

 

一度でもそれをやってしまえば、その痛みが自分にそのまま帰ってくる気がしてならない。

サクラノ詩  草薙直哉の名言 足の震えを止める為に一歩を踏み出す

人によっては環境を変える時も、私のように変な自問自答はしないかもしれないが、今日は一歩を踏み出す時に踏み出せる勇気をくれる一つの名言を紹介しようと思う。

 

 

「いつだって決断する時はそうだ、足が震える。その一歩を踏み出せない様な気がする。だからこそ、俺はいつだって踏み出すんだよ。そうすれば、震えは止まるのだから。」 

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これはサクラノ詩というビジュアルノベルの主人公、草薙直哉↑の名言である。

 

 

これは現在の私にもっとも効く名言である。

 

 

 

思えば、コンビニバイトを1月の真ん中で辞めて、二次元業界の入らんがため、簿記試験の勉強をしてきて、その試験も3日前に終わり、予定通りと言えば、予定通りに事は進んできている。

 

 

 

1か月後にはきっと面接も終わり、東京の移住先も決め、いよいよ働き始めようとしている自分が・・・いるようにしたい。。。

 

 

そう、私は働きたいのである。「自分は社会に貢献している。」という自分を誇りたい。「親に迷惑ばかりかけている自分ではない。」と思いたい。

 

 

働いている時は毎日のように「めんどくせぇ」「仕事だるい、辞めたい」と言ってきた私だが、そんな事を言って5年が経った今私ははっきりと自覚した。

 

 

「結局、私は働きたいのだ。」

 

 

と。今までは約5年の飲食店の店員と3ヵ月のコンビニ店員をしてきたが、私は正直に告白すると、99.9%以上は金のためにだけに働いていたと思う。

 

 

別にそんな事は珍しい事ではなく、100%そうでもなんら不思議はないと思う。だが、今までの仕事をすべてを辞め、今現在無職の私がいるという事は、私はそれでは嫌だったのだつくづく思う。

 

 

10%でも20%でもいいから金以外にも、「この仕事だから。」という何かが欲しいのだ。

 

 

それならやはりアニメとかエロゲとかが好きな私はその業界に入ってみる以外に道が考えられない。

 

 

「趣味は仕事にするものじゃない」

 

 

的な意見はよく聞くし、そういう風に思う人の気持ちもわかるつもりだ。しかし、自分が好きな業界で良い感じの人たちに囲まれ、充実感もあり、雇用主の会社または業界の力になれている事を実感できたのならそれはきっとすごく幸福な事だと思う。

 

 

 

ずっと客の目線だったがゆえに失望する事もあるかもしれないが、「この仕事を続けたい。」と思える仕事に就けるとしたらもうそれしか私には思いつかない。

 

 

だから私はもう業界に入ってみるしかないし、自分でもそのように状況を調整してきた。簿記試験が終わり合格発表が出次第、候補の会社に応募するつもりである。

 

 

しかし、ここにきて、私の大きな不安を感じ始めている。

 

 

 

 

「応募して、業界に入って、それが自分の想像とはかけ離れていて、こんな仕事はしつたくないと思えるような場所だったら?いくつか場所を変えたとして、それでもそうだったら?そもそも『しゃーせー』とか『あざーしたー』しかろくに人前で喋ってこなかった自分がちゃんと人とコミュニケーションを取れるのか?いろいろやっても結局、上手くいかなくて実家に帰ってきたとして何の仕事をする?また飲食店とかで金のためだけに働くのか?今は父親が一杯稼いでいてくれるからいいものの、その後は?いい加減親を少しは安心させてやりたい。そう思うなら、金のためだけでもいいからどこかで正社員を目指すべき?でも、今までそれが出来なかったから今の自分がいる。だったら最後の希望であり、最後の挑戦として業界に入って納得できるまでやるしかない。それでもだめだったら・・・?」

 

 

 

と堂々巡りのような答えは決まっているというか決めたはずなのに、さんざんこれまで好き勝手やってきたが、そろそろ潮時なのは自覚しており、「最後」を自分で決めるべきだったし、事実そうしたが、その最後に踏み出すのが私は怖いのだ。

 

 

その「最後」すらも上手くいかなかったとき。それを考えるととても怖い。だから、「もうちょっと無職しててもいいんじゃね・・・?」等と心底ダメダメな提案を私の中のダメな部分が囁きかける。

 

 

 

きっと、ここで、そっちに流れたらいろいろな意味で私の人生が試合終了になる気がする。

 

 

だからこそ、私はこの23歳から24歳にかけてのこの一年でいろいろなものにケリを付けたいと思う。

 

 

 

 

踏み出せない足の震えをずっとそのまま、震えたままにしたいという人はいないはずだ。

 

 

 

足の震えを止めたいから踏み出す。論理としては「痛いのは嫌だから避ける」的なネガティブ的とも思える考え方だ。

 

 

これを「勇気」と言うのかどうかは分からないが、私は私自身の事を勇気とか根性とかとは無縁なヘタレだと自認している。そんな私でも動く気になるのだからきっとこの名言はヘタレに効く名言なのではないだろうか。

 

 

 

 「根性だ!気合を入れろ!逃げるな!勇気を出して踏み出せ!」とポジティブ全開で言われるよりは自然と背中が押される気がするのだ。

 

 

 

なにはともあれ、これから数週間、数か月、私の日常は大きく変わる。いや、変えてみせよう。

 

 

 

ちなみに、サクラノ詩は近年では一番と言えるほどのシナリオゲーだと私は思っている。難解な部分もあるが、これほど人生を感じさせる作品はクラナド以来な気もする。

 

シナリオだけでなく、音楽とCGも非常にクオリティが高いものになっている。気になっている人はやってみてはどうだろうか。

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・足が震えたときは、足の震えを止めるために一歩を踏み出せばいいという事だ。

 

 

結局、「一歩踏みだす」という結果は同じだとしても、この言葉はどうも私にフィットしている気がする。

俺ガイル続8話の名シーン 『本物』の人間関係とは何か?

俺ガイル2期の8話の後半のシーンは、メイン3人のそれぞれが考える理想の人間関係、つまり『本物』の関係というものが最も現れた名シーンだと思う。

 

 

 

比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、それぞれがそれぞれ互いの事を大切に想っていて、3人で一緒にいられる奉仕部という場も大切にしている。

 

 

しかし、それぞれが理想とする「本物の人間関係」が異なっているから、上手くいかず、気まずい雰囲気になったりしてしまう。

 

 

 

この俺ガイルという作品では「より良い、本物の人間関係とは何か?」といった事についてとことん突き詰めて考えさせてくれるが、

 

 

「それぞれの考えている事が違うから、気まずくなったり、別れたりする。」

 

 

なんて事は現実の人間関係でもどこにでもある事だ。例えばそれは、何十年と一緒に暮らしている家族とだって、そういう事はあるものだ。

 

 

 

そうなったらなったで、適当にいろいろ話したりして、相手の事が完全に理解なんてしたわけではないけども、なんとなく少し理解した気になって、互いにある程度納得というか、妥協すればいいと思うし、多分多くの人はそんな感じなんじゃないだろうか。納得も妥協も出来ないとなると、離別という事になるのだろうが。

 

 

 

自分の気持ちを押し殺して、我慢して相手に合わせて上っ面の愛想笑いを浮かべているような関係が、理想の、「本物の人間関係」ではない、という事はほぼすべての人は頷くのではないかと思うが、

 

 

「それではどういう関係が理想的、本物と言えるのか」

 

 

と考えると、中々難しい、というか、俺ガイルの3人のように、違った答えが出てきたりするから、人間関係というのは面白いというか、難しいのである。

 

 

 

それでは、3人が考える理想の、「本物の人間関係」というのを見ていきたいと思う。(これは私がアニメを見て読み取ったもので、もしかしたら違う読み取り方もあるかもしれないが。)

 

 

 

 

まずは、主人公の比企谷から見ていく。

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彼にとっての本物の人間関係とは、作中でも台詞として言っているが、

 

 

「互いが互いを『俺はお前の事を理解している』と相手の事を理解した気になって、その自己満足を押し付け合う事を許容し合える関係」

 

 

である。実際どんな感じなのかと言えば、例えばAとBは友達だとして、

 

 

A「なあB,お前ってけっこう短気だよな。」

B「あー、そういう所あるかもな。ところでB、お前は何でも頼まれたら安請け合いし過ぎだよな。」

A「うーん、言われてみるとそうかも。こうして欠点言い合うと、いろいろわかるな。」

B「うん、そうだな。」

 

 

 

まあ、こんな感じなのではないだろうか。AはBを「Bは短気」と勝手に理解した気になって、それを実際に「お前は短気だ」をそれを押し付けているし、逆にBはAを「すぐに安請け合いする奴」という印象を押し付けているが、その事を互いに問題にしていないという関係性だ。

 

 

先の例では、AもBも、言われた事について「そうかもな。」と肯定的であるが、別に、「えー、そんな事ないよ。」と否定しても別に問題ではない。

 

 

しかし、「お前って短気だな。」と言われ、「は?なにそれ?全然違うし、うっざ。もうお前とは話さないわ。」なんて事になれば、それは相手を理解した気になってそれを押し付ける事を許容していないから、比企谷の理想像に沿わない事になる。

 

 

 

 

 

次に、雪乃にとっての本物の人間関係を見ていく。

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彼女が考える本物の人間関係は、

 

 

「言わなくても互いに分かり合える関係」

 

 

だと思う。

 

 

これは雪乃がそう明言した訳ではないが、望みがあっても、それを言葉にしないという傾向はいろいろな所で見受けられるし、件の8話の名シーンでは、最初、雪乃は比企谷の依頼を拒絶するが、それも比企谷が「自分(比企谷)のせい」にしてしまい、「奉仕部3人のせい(比企谷、雪乃、結衣)」と言ってくれなかった事が寂しいというか、悔しかったのではないかと思う。そして、その事を言葉にせず、望んでいないようなことをいってしまったのだと思う。

 

 

 

まあ、これは比企谷の理想よりもとても分かりやすいが、実現はほぼ不可能な理想だろう。

 

 

比企谷も言っているが、「言わなくても分かる」なんてのは幻想で、ただの傲慢に過ぎない。

 

 

しかし、これは一緒にいる時間が長いほど、相手を信用または信頼していればいるほど、無意識的にやってしまいがちな事ではあると思う。

 

 

「そのくらい言わなくても分かれよ。」

 

 

誰かに対してそんな事を思った事が無い人もそういないのではないだろうか。

 

 

ただ、「言わなくても互いに分かり合える関係」

 

が悪い関係だというわけではないし、むしろ素晴らしい関係だと思う。

 

 

だから、よりよい形に言い直すなら、

 

 

「言わなくても互いに分かり合える事がたまにはある関係」

 

 

このくらいでいいと思う。

 

一緒にいればいる程、なんとなく、相手がどんな人間が少しづつ見えてきて、スポーツのアイコンタクトのように、言葉に出すこともなく、相手の望んでいる事を察してやれる事もあるだろう。

 

 

しかし、それが当然とは思わないようにしなければ、相手が「他人」である以上、ほぼ確実にどこかで歪みが生じるだろうとは思う。

 

 

 

 

最後に、私の天使でありマイエンジェルであるガハマちゃんの考える本物の人間関係を見ていこうと思う。

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ガハマちゃんの考える本物の人間関係、それは、

 

 

「互いに思っていることを何でも言い合える関係」

 

 

である。これはとても分かりやすいし、もし、アンケートでこの3人の考え方どれが一番いいですか?と聞けば一番票が入りそうな気はする。

 

 

しかし、単に、↑の言葉だけで言うと、人によっては「話さないといけない」というような強制力のようなものを感じる人もいるかもしれないが、ガハマちゃんの1期と2期の言動から、そんな強制をするような子ではない。

 

 

より誤解が無いように言いなせば、

 

 

「互いに思っていることを言いたくなったら何でも言い合える関係」

 

 

となるだろう。私的には3つの中では、これこそが最高で最善の人間関係、「本物の人間関係」と言えるのではないかと思う。

 

 

比企谷も言っているが、「言ったから分かってもらえるとは限らない。」というのは確かにそうである。

 

 

しかし、ガハマちゃんが言うように「言わなかったら分からないままだ。」というのも確かだと思う。

 

 

そして、言ったから、言われたからといって、必ずしも分からなければならないという事もないのだ。

 

 

「分かる」「分からない」というのは2つに1つという話ではなく、程度の話のはずである。

 

 

話をしても10%しか分からなかったら、もっと話をして今度は20%まで分かれるようになるようにすればいいのだ。決して100%になる事はなくても、それに少しでも近づけるように話を重ねればいいのだ。

 

 

 

ガハマちゃんは比企谷や雪乃のようにちょっと難しい抽象的な事をいう事はないし、自分の気持ちも上手く言葉にすることが出来ず、「よく分からない」と何度も口にするが、彼女の素晴らしい所は「分からないからいいや」ではなく「分からないなら少しでも分かれるように話す」事だ。

 

 

 

 

つまり、まとめるとガハマちゃんはほんっーとーにいい子だという事だ。(話の流れ的には?ってなるかもしれないが、なんか上手い事思いつかないから強引にまとめた。)

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もうほんとマジ天使だし、マジいい子過ぎるし可愛いし、おっぱいいい感じに大きいし、団子が可愛いしマジ結婚したいのである。

 

 

 

 

まあしかし、こうそれぞれの考えを書いてみると、どれが一番いいとかではなく、比企谷とガハマちゃんの理想で互いに接していたら、自然と雪乃が望むような理想になっていく。というのがベストなのかなと思う。

 

 

つまり、

 

「互いが互いを『俺はお前の事を理解している』と相手の事を理解した気になって、その自己満足を押し付け合う事を許容し合えて、かつ互いに思っていることを言いたくなったら何でも言い合えて、結果的に、言わなくても互いに分かり合える事がたまにはある関係」

 

これではないかと思う。

 

 

いやー、書いてみるとほんとにもうこれは申し分のない人間関係だ。ここまでの関係性と誰かと築く事が出来たのなら、もうそれはこの上ない幸せなのではなかろうか。

 

 

 

 

2週目だが、この「俺ガイル」というアニメはほんとうに特殊で興味深くて面白い。3期が来ることを待つばかりである。まだ見てない人は見る事をしつこくおすすめしよう。

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・「より良い人間関係とは何か?」というような簡単に答えが出ないような事をとことん考えてみるのもやはり面白いという事だ。

 

 

今後もこんな答えが出なそうな事は自分の性質上、ほっといても考えるだろうが、まあ、そんな自分は嫌いではない。

俺ガイル 比企谷八幡の名言 逃げちゃダメ?

数年前から割と有名になってるので、ご存じの方もいるかもしれないが、正式タイトル「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」、通称「俺ガイル」をご存じだろうか?

 

 

私はネット上でやたら「俺ガイル俺ガイル」と話題になっていた時、「『俺ガイル』ってなんだよ?ストリートファイターのあいつかよ。」と思ったが、そういうわけではなかった。

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ストリートファイターのあいつ

 

正式タイトルを見れば「どんだけ無理やりだよ。」とも思ったが、いざ自分も「俺ガイル俺ガイル」と言い出せば馴染んでしまうから不思議なものだ。

 

 

まあ、ともかく、その「俺ガイル」というアニメ(原作はライトノベルだが)の主人公、比企谷八幡という男は主人公という意味でも、二次元キャラという意味でも、まさに稀にみる、異彩を放っているキャラである事は間違いないと思う。

 

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いつも↑こんな死んだ魚のような目をして、捻くれており、常に世の中を斜めに見て、詰まる所はダメな奴なのだが、彼ならではの斬新な思考から生まれる、数々の妙に説得力があり、かつ興味深い名言は本当に面白い。

 

 

挙げればいくつもあるのだが、今日は中でも興味深い、以下の名言について考察しようと思う。

 

 

「『逃げちゃダメ。』なんて、強者の考え方でしかない。いつも自分が悪いなんて事はない。社会が、世の中が、周囲が、誰かが間違っている事だってたくさんある。『自分は変えられる。』なんてのはそのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して、負けを認めて隷属する行為だ。綺麗な言葉で飾って自分すらだましている欺瞞に過ぎない。」 

 

これを聞いた時、私は「~誰かが間違っている事だってたくさんある。」まではすんなり理解出来たのだが、そこから後は、「ん?何言ってんだこれ?」とちょっとよく理解できなかった。

 

 

前半の方は言葉の通り理解すればいいはずだ。よく言うのは「逃げるな。」「逃げたってどうにもならない。」とかだ。

 

 

「ぐだぐだと不平不満を言って逃げていても仕方がないから、頑張って逃げずに立ち向かえ。」

 

という考えはよく言われるだけあって正論だと私も思うし、言っている比企谷自身、そんな事は分かっているだろう。

 

 

 

どう考えても、「え、なんでこれが俺のせいなの?俺が悪いの?」なんてケースはよくある事だ。

 

 

 

例えば、私の経験談だが、当時私が飲食店で働いていた時の事だ。

 

 

客からサワーの注文が入り、滅多に入らないメニューでしかも、「ちょっと〇〇な感じでお願い。」という感じでめんどくさい注文もつけられ、正直に「分からないな。」と思った私は店長に

 

「お客さんからサワーの注文で〇〇なんですけどどうすればいいですか?」

 

と聞きいったが、何やら熱心に壁を掃除しており、「んー、〇〇して。」とこちらもみないで適当に返事を返し、私が「えーと、じゃあ、〇〇なようにすればいいですね。」と確認し、「あー、うん、そうそう。」とまたもやこちらも見ないで適当な返事を返され、そして私は一抹の不安を抱えながらも、他の仕事も溜まっているため言われたとおりにしてみた。

 

 

 

結果としては、客には文句を言われ、戻ってそれを報告すれば今度は店長に怒られるという結末に終わった。

 

 

しかも、「間違えたんだからちゃんと俺に謝れ」と店長に言われ、軽くイラッときた私は「俺ちゃんと店長に確認もしましたよね?これ俺が悪いんですかね?」と反抗し、まあ、関係は悪化した。。。

 

 

 

今、思い返しても、あの時の自分が悪かったとは思えないが、それでも、

 

客<店長<店員である私

 

という力関係がある以上、「この中で悪いのは誰という事になるか?」といえば、形としては「私が悪い」という事に落ち着くのである。(私がどう考えても「店長がわるいだろ」と思ったとしてもだ)

 

 

しかし、私が反省しようと思っても、「あの時はあれが最善であり、自分が悪かったとは思えない」と思っている以上、これは先の名言における、

 

「いつも自分が悪いなんて事はない。社会が、世の中が、周囲が、誰かが間違っている事だってたくさんある。」

 

これに当てはまる事になるだろう。

 

 

 

次の「自分は変えられる」というのは、おそらく、言葉で言えば「逃げない」とか「受け入れる」とか、言葉通り「自分の努力で他人や社会を変えられると思う」事とかじゃないかと思う。

 

 

 

先の私の例でいうと、理不尽だと思うのに自分のせいにされ「謝れ」と謝罪を要求された時、自分の無実、正当性を誠心誠意主張し、さらには店長に己の過ちを認めさせ、

 

 

「うん、うん、そうだね。俺が悪かったよ!ほんとうにごめんな!」

 

 

とでも言わせられれば、「世の中の理不尽に逃げずに立ち向かい、見事に勝った。」と言えるのかもしれない。

 

 

 

しかしもし100回やり直せるとしても、100回中100回それを失敗する自信があるし、どうすれば説得できるかなんて思いつかないし、そもそもそうしたいとすら思えない。「あぁ!?何言ったんだ。お前が悪いんだろうーが!」とさらに当たりが強くなる未来しか想像できない。

 

 

決めつけにかかっていてさらに立場が上の人間に下の人間が何か言おうと、状況は良くなるどころか悪くしかならないだろう。

 

 

ならば、イラつきを抑えて「すみませんでした。」と要求に答えて、謝罪をすればよかったか?

 

 

今後もその職場で続けていくつもりなら謝罪をした方が利口だし、多くの人はそうするだろう。

 

 

しかし、そうやって、我慢する事も、または、その理不尽さを受け入れて、自分の行動で自分が間違っていると思う他人や社会を変えようとする事も、比企谷が言う所の、

 

「そのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して、負けを認めて隷属する行為だ。綺麗な言葉で飾って自分すらだましている欺瞞に過ぎない。」

 

のだと思う。ちなみにこのゴミみたいな冷淡で残酷な世界」というのは「自分ではなく、社会や世界が悪いのに自分が悪い事にされる世界」という事だろう。

 

 

確かに、比企谷の言う通り、「自分が悪い事にされた」という事を受け入れた時点で世界に順応して、負けを認めて隷属する行為というのはそうなのかもしれないと私も思う。

 

 

 

「言いたい事はわかったけど、んで?文句言ってどうすんの?」

 

 

という事だが、比企谷はそもそも文句は言っても、問題の解決などする気が無いのだ。彼がするのは

 

「問題から一時的に逃げる事、先送りにする事、とりあえずの問題を解消」

 

である。作中、彼は彼ならではの捻くれた価値観から他の人では思いつかないような方法で、問題の解消、先送りを成功させる。

 

 

友情・努力・勝利」というような「王道」を行く数々の主人公の中、自分で言っているが彼は「卑屈・悪知恵・個人プレー」で「斜め道」を一人で歩いているような感じだ。

 

 

彼の活躍の数々を見ていると、逃げる事や問題の先送り、誰かと協力しない個人プレーといった一般的に良くないとされる事柄が必ずしも悪い事ではないと思わせてくれるから不思議である。

 

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・やはり比企谷八幡というキャラはオンリーワンだという事だ。

 

 

今までにないキャラににも程があって面白すぎるよ。

コードギアス 反逆のルルーシュ シュナイゼルの名言  既存の価値観に積極的に囚われていこうと思う。

 

コードギアス 反逆のルルーシュというアニメでシュナイゼル殿下はこう言っている。

 

「人の本質とはね、何かに支配されたいということなんだよ。」 

 

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学生時代にこのアニメを見たと時に聞いた時、つまり「自由である事とはどういう事か?」をろくに考えもせずとりあえず「自由」というのは素晴らしい事であり、響きが良いその言葉に酔っていた頃は、「そんな事はない!人間はもっと自由なそんざいだ!」というような感じで、彼の言ってる事は理解できなかったうえに、反対していた私だが、6年程経った今なら彼のこの言葉はどうしようもなく真実である気がしてならない。

 

 

 

 

 

しみじみと人生を振り返るような年齢でもないと思うが、振り返ってみると、私は元々若者らしいエネルギーが平均よりも大分少なかったような気はする。

 

 

 

勉強とかスポーツとかは私たち学生(当時の)にとっては絶対的とすら言えるステータスだったような気はするし、それに自分がある程度支配されている事は自覚していたし、他人に負けると「うぜえ。」とか思う事もあるし、勝てば「俺は他の奴らよりも優れている」なんて風に下らない優越感に浸る事もあった。

 

 

 

しかし、どうもそれに支配されきれなかったというか、「うぜえ」とか「俺すげえ。」とか思ったとしても、その悔しさとか、優越感に浸り続けたいとはならなかったのだ。

 

 

それに連続で支配されたとしても、長くて1日、はやいと、「うぜえ」とか「俺すげえ」とか思ったすぐ後に、「だから、なんなんだ・・・?うわぁ、俺下らねえ。。。」て直前の自分を思い返して軽く自分の下らなさに自己嫌悪したりすることが多かった。

 

 

 

かといって、それらを下らないといいながら、「では自分にとって何が下らなくないのか・・・?」と考えると、また答えがでないのである。そして、さらに自分の下らなさに絶望するのである。

 

 

流石にもうそんな負のスパイラルに陥る事はなくなったが、学生時代は常にこんな感じであった。

 

 

今更だから思うが、学生にとって、学校が世界の全て、またはほとんどである以上、テストの点数だとか、スポーツの成績だとか、そういう共通の価値基準に支配されていた方が充実して過ごせる気はする。

 

 

 

 

今までさんざん、「自分とは何か?」「自分は何がしたいのか?」と自分の内側から、アイデンティティーを確立しようとし、それが一番良いあり方だと考えてきた私だが、既存の価値観に支配されず、何から何まで自分の内側からアイデンティティーの確立とか自分らしさとかそういうものを構築するのも中々大変ではある気がする。

 

 

 

学生なら先ほど言った勉強とかスポーツ、社会人なら学歴だとか資格だとか収入、そういう実際に数字とか形のあるものは「自分はこれだけの価値がある」と思わせてくれる。

 

 

こういう既存の価値観に染まる事を2,3年前の私なら良しとせず、その価値観に染まりそうな自分を感じる度に、「これは良くない」と自分を責めてきた。

 

 

しかし、それらの既存の価値観に支配され、行動し続けられることは「若さの象徴」とも言えるのではないかと最近私は思うのだ。

 

 

突き詰めれば突き詰める程わけのわからないこの世界において、「勝つと嬉しいから」「数字が多いと嬉しいから」そんな単純な価値観に支配され続け、行動し続けるというような若さは私が年齢、見た目ともおっさんになっても、より充実した人生を送るには不可欠な事ではないかと思うのだ。

 

 

 

そういう価値観を学生時代の「それがなんなんだ。」「どうでもいい・・・」と悲観的に捉えてしまっていたことこそ、精神的におっさんというか、老けていた気がしてならない。

 

 

 

既存の価値観だけに染まってしまうのもどうかとは思うが、今後は、既存の価値観に染まっている自分を自覚したとしても、それを前向きに、肯定的に捉える様にしていきたいと思う。

 

 

ちなみにコードギアスは一度見始めると止まらない系のアニメの最高峰の作品である上に、メッセージ性もある名作であるので、見ていない人は視聴を超おすすめする。

 

コードギアス COLLECTION コードギアス反逆のルルーシュ DVD-BOX
 

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・既存の価値観に囚われる事は必ずしも悪い事ではなく、むしろ積極的に囚われた方が幸せになれる事もあるという事だ。

 

 

これを私は肝に銘じよう。

月に寄りそう乙女の作法 柳ヶ瀬湊の名言 恋も愛もろくに知らない私だが、少女漫画の胸キュンシーンにトキメいているようなおっさんになりたい

ふと3ヵ月に一回くらいのペースで私はふと少女漫画を読みたくなる事がある。そして今日、私はゲオに行ってきて少女漫画を借り、先ほど読み終わった。

 

 

少女漫画に限らず、「恋愛」の要素が全く無い作品なんて探すほうが難しいし、「恋愛」がメインの作品ももはや溢れている。

 

 

 

私は普段は、アニメやビジュアルノベルを主食としているが、やはり少女漫画で味わえる恋愛は何かが違う気がするのだ。

 

 

 

言ってしまえば、少女漫画という媒体だからこそ得られるもの、やはりそれは「胸キュン」だろう。久々に読んだが、やはり胸キュンはいいものだ。

 

 

 

キャラが笑った時に、背景がなんかふわふわというかキラキラしてるあの感じだ。あのふわふわキラキラした感じはアニメやビジュアルノベルでも無い事は無いが、キャラの表情や台詞、背景でキュンとさせる1シーンの破壊力はやはり漫画だからこそなのかな、と思うのだ。その1ページに何かいろいろなものが詰まってる気がするのだ。

 

 

 

少女漫画は女性が基本的に読むものなのかもしれないが、本当に秀逸な胸キュンは男の私でも男の台詞や表情にキュンとさせられる事も多い。(私は同性愛ではない。)

 

 

 

現在の私などは恋愛とは無縁過ぎる日々を送っており、学生時代にしたような燃え上がるような恋愛感情が今後の人生に発生するのだろうかと甚だ疑問ではあるが、やはり少女漫画を読むと

 

「ああ、恋愛ってやっぱり素晴らしいよな。」

 

そう思わせてくれる。素敵な人と出会って恋愛してゆくゆくは結婚して幸せになりたい。

 

そんな絵に描いたような「人間の幸福の形」はやっぱり良い物だと思わせてくれる。

 

 

周りを見渡せばそんな順風満帆な人生を送っている人はおらず、「結婚したって・・・」なんて声もよく聞くぐらいだ。

 

 

しかし、やはり「結婚」というのは、「恋愛のゴール」とまでは言わないまでも、一つの大きな区切りであり、目標ではあるのではないかと思う。

 

 

 

現在の私は自分を養う事にも難儀している状態なな上に女性との人間関係は皆無と言っても過言ではない。

 

 

「素敵な恋愛」「素敵な結婚」これに程遠いところにいるのが今の私である。しかし、それが良い物だとも思えなくなってしまえば、それを望む事もなくなって、「素敵な恋愛」「素敵な結婚」という理想を実現する事もほぼ確実に無理になるだろう。

 

 

やはりそうはなりたくない。情けない私でもやはり「素敵な人と恋愛して結婚したい」という願望はあるし、持ち続けていたいのだ。

 

 

 

恋愛をしたらしたでいろいろと面倒だったり大変だったりするとか、学生時代に友人は言っていたが、私は恋愛の事で大いに困ってみたい、頭を悩ませてみたいのだ。

 

 

ここで恋愛について深い(と私は思っている)言葉を紹介してみる。

 

恋と愛の違いって知ってる?あのね、好きなひとのすべてを知るまでが恋で。すべてを知ってから、それを赦し続けるのが愛なんだよ。

 

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これは「月に寄りそう乙女の作法」というビジュアルノベルの柳ヶ瀬湊の言葉だ。これを聞いた時、「はー・・・なるほどなぁ。」と思ったのだが、私は愛どころか恋すら出来ていない状態だ。

 

 

つまり、好きな人にとことん関わって、すべて(これはちょっと難しいかもしれないが、少なくとも多くを)を知って、それを赦し続ける、これはもう恋愛というか人間関係の究極なのではないかと私は思う。

 

 

自分以外の人間とそこまで深く関わり合えたら、もちろん、辛い事もあるとは思うが、やはりそれは幸福なのだと私は思う。人によってはそんな重いのはちょっと・・・と言うかもしれないが、重い関係万歳である。素晴らしい事だと私は思う。

 

 

 

 

 

まあしかし、恋愛をしたいといっても相手がいなければ話にならない。そして出会うためには社会に出なければならない。

 

 

実家暮らしから東京に出ていくのは引きこもりの気がある自分にはとても不安だ。

 

 

だが、不安だからと地元で適当にフリーターでもしていたらなんとも虚しい人生になる気がしてならない。

 

 

今こそ私は勇気を出すときである。恋愛をしに東京に行くわけではないが、もし、「これは・・・!」という女性に出合ったら今までの失敗を活かし、積極的に恋愛も出来たらいいと思う。

 

 

 

年齢を重ねると恋愛とか胸キュンとかどうでもよくなっていくのものなのかもしれないが、なんかそれは少し寂しいなと今の私は思う。だからこそ、少女漫画の胸キュンシーンにトキメク事が出来るような感性はずっと持っていたいものである。

 

 

 

ちなみに「月に寄りそう乙女の作法」というゲームは女装もののビジュアルノベルなのだが、題材が服飾と珍しいし、なんとも上品な雰囲気を醸し出している中々珍しい作品だ。

 

業界では有名な作品であり、クオリティも確かなので気になった人は手に取ってみてはどうだろうか?

 

月に寄りそう乙女の作法 -Standard Edition-

月に寄りそう乙女の作法 -Standard Edition-

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・少女漫画の胸キュンはやはり素晴らしいという事だ。

 

 

これを私は肝に銘じ、また少女漫画を読もう。

偽物語 阿良々木火憐の名言 「金は全てじゃない、ほとんどだ!」ほとんどではない部分を見失わないための理性

私はこれまで宝くじというものに全く無関心であったが、つい最近の話で親から聞いたことだが、年末ジャンボ宝くじというやつの一等を当てた人が市内で出たという話を聞いた。

 

 

 

その一等はなんと7億円という事だ。そして、その家庭の子どもが「家の親宝くじで7億当てた!」と言ってしまったらしい。(おそらく学生だろう)

 

 

その後、その家族はすぐさまやっていた仕事を辞め、どこかに行ってしまったらしい。「そんなもん当たるやついんのか?」と半信半疑だった私だが、近くで実際にそういう話を聞くと「ほんとに当たってる人もいるんだ。」という事がなんというか実感を以って分かった気分である。

 

 

 

実際、7億円も当たってしまえば、バカみたいな使い方をしなければ、その後、働く必要なんてないだろう。

 

 

 

好きな事を仕事にしてるような人でもない限り、その後、一生遊んで暮らせる金を手に入れたら仕事なんてすぐに辞めてしまうのも納得である。

 

 

200円とか300円とかで買ったくじがいきなり7億円に変わったなんていったら、その瞬間、その人にとって見える世界は変わるのだろう。

 

 

 

これはきっと今の社会に生きている人間なら誰でもそうだろう。しかし、「ひょっとしたら当たるかもしれない。当たったらどういう風に使おうか。」くらいには頭の片隅で考えておくべきだと私は思う。

 

 

逆に「どうせ当たんねーけどな。」としか思っていないと、危険であるし、また損でもあると思う。

 

 

まず、なぜ危険なのか。それは、「恐らく我々人間は急激な環境の変化に弱い。」と思うからだ。急激な環境の変化があれば、誰しもまずは多かれ少なかれ戸惑う事は確かだろう。

 

 

 

その後、自力で冷静さを取り戻せる人ならいいかもしれないが、それにしても、頭の中、や「気持ち的に準備しているかどうか」ではやはり大きく変わると思う。

 

 

 

気持ち的になんの準備もしていない状態で、いきなり7億円とかポンと渡されたら、かなりの高確率で理性をほとんど失い、ひたすら衝動とか欲望に身を任せていく事になると私は思う。

 

 

 

誰でもそうだろうが、人間は冷静な時ももちろんあるが、半分以上は衝動的、感情的に動いているようなものであると私は思う。

 

 

そして、金は我々を大いに満たしてくれるものである事は間違いない。美味い物も食えるし、金で釣れば女も抱ける、遊園地行けるしゲームも買える。

 

 

大金を得れば、労働などせずに、ひたすらそれらだけを耽るという選択肢が出てくる。事前に気持ち的な準備をしていない人の多くはきっと悩む事なくその選択肢を選ぶのではなかろうか。

 

 

そして、「今、腹が減った。」「今、ムラムラしてきた。」「今、ゲームがしたい。」「今、旅行したい。」そんな風にそれらの価格など何も気にせず、それぞれの欲を最高級の形で満たしていくのだろう。

 

 

 

その時、その時の気持ちとか衝動とかに身を任せる事自体は悪い事ではなく、むしろとても人間的で素晴らしい行動でもあると思うのだが、それだけではやはり危険だ。

 

 

 

いくら大金を手に入れたといっても、それは無限ではない。その額を全部使えば当然無くなるものだ。ただ上限が高いだけである。

 

 

当たり前の話だが、金持ちの持ってる100円と貧乏が持ってる100円は同じ100円であり、そこに差は全くない。

 

 

 

ただ、金持ちの場合は、「100円くらい~」という感覚で、貧乏は「100円も~」といった感じでその感覚的には大きく違ってくる事は多いはずだ。しかし、同じ100円である。

 

 

 

理性を失い、衝動と欲望だけで金を使う人間はきっと、「今、いくらの使ったのか。」「残りはどれだけあるのか。」なんて気にせず、「とりあえず、まだまだいっぱいある。」みたいな曖昧な認識しかしなくなるのではないかと思う。

 

 

 

そんな風に、破滅するまで衝動や欲望の権化となるのを避けるには理性が不可欠であり、それを保つためには、あらかじめ「その後に気持ち的に準備している事が最重要だと私は思う。

 

 

 

例えば、部活とか仕事を辞める時なんかもそうだ。

 

「キツイから辞める」「嫌になったから辞める」

 

これ自体は構わない。その理由自体が悪いとは私は思わない。しかし、仕事とか部活を辞めるという事は環境を大きく変えるという事でもある。

 

 

「辞めた後はどうするのか、空いた時間をどのように使うのか」

 

 

これを考えずに、ただただ「辞めたい」「嫌だ」という衝動に任せて辞めたら、きっとその人は最初こそ解放感を得られるかもしれないが、その後困ると思う。

 

 

まあ、そこで存分に困るのもそれはそれでいい事なのかもしれないが。人間は環境の変化に弱い事は確かだと思うが、物理的にも気持ち的にも準備しておく事で環境の変化にうまく対応することが出来ると私は思う。

 

 

部活とか仕事とかの話なら、まあこれが出来ていなくても、自分が悩んで困るだけで済むかもしれないが、宝くじで何億当たったとかそれほどの大きすぎる環境の変化の際に

、これが出来ていないと、人生とか命とかに関わる事になるだろう。

 

 

実際、宝くじで当たって不幸になったり亡くなったりする人もいるようだ↓

matome.naver.jp

 

 

 

物語シリーズのアニメで

 

金は、全てじゃない・・・ほとんどだっ!

 

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という阿良々木火憐ちゃんの台詞があるが、金を手に入れて、この世のほとんどを手にしたとしても、それは「全て」ではなく「ほとんど」である事。「ほとんどではない部分」を見失ってはならない。

 

そしてその「ほとんどではない部分」を見失わないために「理性」が必要不可欠なのだ。

 

 

 

まあ、こんな記事を書いたのは、私が「ちょっと宝くじやってみようなかな。」

と思っていて、その際に心がけるべき事で、なによりも自分自身に向けて行っているのかもしれない。

 

 

 

ちなみに 化物語を始めとする大人気の物語シリーズだが、私はアニメしか見ていないが、簡単に言うと「変なアニメ」である。

 

 

だが、これは敢えて断言するが、「数あるアニメの中でも唯一無二の面白さがある」のは間違いない。そして、私自身その唯一無二の面白さに魅せられた一人だ。どんな面白さがあるのか、気になった人は視聴を超おすすめする。

 

化物語 Blu-ray Disc Box

化物語 Blu-ray Disc Box

 

 

 

 

 

今日の記事から私が得るべき教訓は、

 

・金がほとんであるこの世の中で、ほとんどでない部分を見失ってはならないという事だ。

 

 

これを私は肝に銘じよう。